祈るのではなく、願われている
【要約】
苦しいとき、私たちは「どうか助けて」と祈りたくなります。
しかし浄土真宗では、私から祈るのではありません。
「仏さまから願われている」と考えます。
思い通りにならない現実の中で「決して見捨てない」という願い(本願)に気づくことで、心がホッと軽くなるお話をします。
こんにちは、ヨシボウです。
大切な人が病気になってしまったとき、「どうか治りますように」と祈る。
あるいは、自分が大きな壁にぶつかったとき、「どうかこの問題が解決しますように」と祈る。
ぼく自身も、そんな風に見えない大きな存在に願いを届けたくなることがあります。
でも、人生というのは非常に残酷な側面も持っていますよね。
どれだけ強く祈っていても、思い通りにならないことはたくさんあります。
病気が治らないこともあるかもしれない。
大切な人と別れることもあったり、頑張ったのに報われなかったりする。
そうした厳しい現実に直面したとき、人は「こんなに祈ったのに…」と深く傷ついてしまいます。
そして、「神も仏もないじゃないか」と怒りを感じ、結果的にそれが苦しみへと変わっていくのです。
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浄土真宗が「祈らない」理由
ぼくは浄土真宗という宗派の僧侶なのですが、少し独特な教えを持っています。
それは、仏さまに対して「私の願いを叶えてください」と祈願する、つまり「祈る」ことをしないという点です。
「えっ、お寺なのに祈らないの?」
と不思議に思われるかもしれません。
でも、ここには浄土真宗のとても大切な核心が隠されているんです。
それは、「私が仏さまに願うのではなく、仏さまが私を願っている」という視点です。
浄土真宗のご本尊である阿弥陀如来(あみだにょらい)という仏さまは、「立派になったら救う」とは言いません。
「ちゃんとできた人だけ認める」とも言わないのです。
むしろ逆で、
「迷ってもいい、弱くてもいい、失敗してもいい、情けなくてもいい。
それでもあなたのことを見捨てないよ」
というのが、阿弥陀さまの願いなんです。
これを仏教の言葉で「本願(ほんがん)」と言います。
つまり、仏教(浄土真宗)というのは、自分のお願いを叶えてもらう宗教というよりも、「すでに自分が願われていたことに気づく」教えなんですね。
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親の愛と仏さまの願いは似ている
たとえば、子どもが熱を出したとき。
親なら当然「早く良くなってほしい」と祈るように願いますよね。
でも、親の愛情というのは「熱が下がったから存在する」わけではありません。
熱があって苦しんでいても、泣きわめいていても、ずっと隣にいて「どんな状態でも見捨てないよ」と寄り添い続ける。
それが親の本当の願いであり、愛ですよね。
阿弥陀さまの願いというのも、まさにそれに近いものなんです。
人生の苦しみを魔法のように全部消してくれるわけではありません。
思い通りに現実を変えてくれるわけでもありません。
でも、「真っ暗闇の中を歩いているあなたは、決して一人じゃないんだよ」とずっとそばに寄り添ってくださる。
それが仏さまの温かさなのです。
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与願印(よがんいん)が教えてくれること
阿弥陀さまの仏像を見たことがあるでしょうか。
阿弥陀さまの左手は、少し前に出て人々をすくい取る形をしています。
この手の形を「与願印(よがんいん)」と言います。
「与」は与える、「願」は願い、「印」は手の形のこと。
つまり、「願いを与える」という意味も含まれているのです。
普通は逆ですよね。
私たちが仏さまに願いをかけて、仏さまがそれを聞いて救ってくれる、というのが一般的な考え方です。
でも、阿弥陀さまの手は「こちらから願いを与えているんだよ」と表しています。
「頼むから、私に救わせてくれ」
そんな仏さまからの願いを受け取ってほしいという現れなのです。
だからこそ、私たちは「祈る」ことで安心するのではなく、「すでに願われていた」と気づくことで深く安心することができるのですね。
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まとめ
人は苦しいときや不安なとき、自然と何かに祈りたくなるもの
しかし、祈りが叶わない現実に直面すると「神も仏もない」と苦しみが生まれる
浄土真宗では「私が仏に祈る」のではなく「仏が私を願っている」と考える
阿弥陀さまの願い(本願)とは、「どんなあなたでも決して見捨てない」という無条件の寄り添い
思い通りに現実を変えようと力むのをやめ、「一人ではなかった」と気づくことで歩き出す力が湧く
現実は厳しく、思い通りにならないことばかりです。
あなたが今苦しみの中におられるのなら、無理に強くなる必要はありません。
あなたはすでに、大きな願いの中に包まれているのですから。
さいごまでお読みいただき、ありがとうございました。
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「私が祈るのではなく、すでに願われていた」という逆転の視点に、深く心が洗われるような感覚を覚えました。
思い通りにならない現実に直面したとき、どうしても「なぜ救ってくれないのか」と外側に答えを求めて苦しくなってしまいますが、阿弥陀さまの「与願印」が示す「頼むから、私に救わせてくれ」という無条件の寄り添いは、張り詰めた心をそっと緩めてくれる温かさがありますね。
親の愛に例えたお話も非常にわかりやすく、無理に状況を変えようと力むのをやめ、まずはそのままの自分を受け入れる安心感をいただきました。
心がふっと軽くなるような、お慈悲に満ちたお話をありがとうございます。